twitterなかなかなじめないでいるけど、
やたらRTされてるから、記事のぞいてみた。
オンラインサロン界隈の情報弱者と判断能力の欠如の関係のようだけど、
本当に親切な人は、弱っている人や判断能力が低下している人の弱みに付け込むような真似はしませんから。
一種の洗脳だと思いますよ、本当に。
これって宗教や洗脳ビジネスで似たような、思い当たる節があることには共感したけど、
なーんか釈然としない。
判断能力が低下して思考が停止してしまったその背景にあるものは、一体何だと思いますか。
って最後問題提起?
その背景にあるものは何か?に思いをめぐらす?、
う~ん、、、、
その背景とやらに心を寄せるやさしさも
あってもいいかもしれない、うん。
でもさ、それで思いをよせてなんの役に立つのかな。。???
なんか進歩改善があるのかな。。???
「???」としか表現できなかったんだけど、
いましたよ、
ぶった切った人が!
http://shinyahattori.com/column/ikehaya/
私が言語化できなかった「???」を「違和感」として文章化されてる!
まあ文春に寄稿されてたことも、本題じゃないけど違和感を唱えていらっしゃいましたしね。
私にはよくわからんオンラインサロンについて言及されていて、
着地点は違えどプロセスとして、共感ポイントを備忘録として。
この手の話をよくある宗教とか洗脳に置き換えてみても
あるある、あるよな~
そもそも、何色の血が流れているのかもわからない、話の通じないクズにいつまでも固執していてもしょうがないじゃないですか。
それよりも、「あの時はどうかしてたな」「あの時はバカなことをしたな」と、「人生で起こることは100%自分の責任だ」という基本認識を持って、さっさと前向いて進んだ方が周りの人も応援してくれるわけです。
○○は宇宙人なので、周りの人間が何を言おうと聞き耳を持たずに、何の感情も持たずに情報弱者から搾取し続けるわけなので、違和感を感じたら距離を置くのがベストなんです。
何の感情も持たずに殺戮をし続けるゴキブリと同じようなもんなので、さっさと逃げるか自分が力をつけて退治するしかないわけですよ。
○○を「教祖」とか「指導者」におきかえたとしても
氏にいわせると「宇宙人」で「クズ」だとw
的を得ているだけに、よくぞと思うんだけど
いかんいかん、私が共感した本題はそこじゃない。
「人生で起こることは100%自分の責任だ」(どこかできいたようなよくあるフレーズだけど)、この基本認識を持って、
さっさと前向いて進む。違和感を感じたら距離を置く。
かつて、自分人生の幸せに役に立たない「不要な集合意識」には、静かに立ち去ることの強さを教えてもらった過去を思い出した。
そして「自己責任」について
百歩譲って「精神を病んで正確な情報を得られる状態ではない」「物事を正しく判断できない」という状況でカモられてしまったことは他人のせいにしても良いです。
氏に他人のせいにしても良い譲歩案があることに、いささかの驚きを感じつつ
(だって、そういった状況になるに至るまでの「自己責任」はあるんじゃないの?、、と揚げ足取りはやめようw)
そんな状況で手を差し伸べてくれる友達が誰もいないということに関してはとことん自分と向き合って、これからの生き方は見直すべきだということです。
なぜなら、今まで、人に親切にして生きてきたのであれば、誰かの役に立つように生きてきたのであれば、1人くらいはそういう人が現れるはずですし、相談もできる相手もいるはずなんですよね。
相談できる相手がいるかどうかはおいといても、
とことん自分と向き合う、というのは
確かにそうだと思う。
家庭環境や搾取されたことを他人のせいにしてしまっても良いとしても、「助けてくれる人が周りに1人もいない」ということを他人のせいにしてしまってはダメで。
だからこそ、助けてくれる人がいなかったことを他人のせいにしてはいけないし、
他人のせいにしない「自分」でいる強さをもっていたい。
「この失敗を生かして誰かの役に立つようにがんばろう」とアクションを取っている人には本当の協力者が現れます。
「この失敗を生かして誰かの役に立つように」行動に移す
かつての私の苦い経験を役立てたいとの思いを行動にかえなくては。
この方はコンサルタントなので、この騒動の着地点として性悪説をいわれてましたけど、
私なら、「期待しない」ことで、「自己責任」によって受けるダメージを最小限に抑える、と置き換えるかな。
「期待しない」
というのは、自分人生の幸せになるかならないか、自分の判断基準でしか選択しないということ。
「自分が」どう思ったか(判断したか)しか基準はないから、他人のせいもないし、
外部の情報で判断することもしない。
それでもダメだったら、「まだまだ取捨選択のスキルが低かった」と自己責任を受け入れて、さっさと離れて次に行くと。
「期待」していなかった結果だったとしても、「良い経験になった」と自己責任を受け入れて、次は別の違う経験をしよう、とさっさと次に行くと。
「自己責任」については、折をみてまた書いてみたいと思います。